http://www.howtodieinoregon.com/index.html
Synopsis (quote from the site)
In 1994, Oregon became the first state to legalize physician-assisted suicide. As a result, any individual whom two physicians diagnose as having less than six months to live can lawfully request a fatal dose of barbiturate to end his or her life. Since 1994, more than 500 Oregonians have taken their mortality into their own hands. In How to Die in Oregon, filmmaker Peter Richardson gently enters the lives of the terminally ill as they consider whether – and when – to end their lives by lethal overdose. Richardson examines both sides of this complex, emotionally charged issue. What emerges is a life-affirming, staggeringly powerful portrait of what it means to die with dignity.
最初、これは 植物人間とか医療器械による延命だけで 病院のベッドに意識も無く横たわっている病人に対して、家族がその病人の命を絶つ決断をする、という話の映画だと思っていた。
でも この映画で取り上げられている問題は、病人自身が、余命短いと診断された重病人ではあるが、意識はしっかりあり、会話をし、考え、決断がちゃんとできる状態で、自らが命を絶つ事を決める、という事。ただ薬を飲んだり、放射線治療をしたりして 苦しい思いをしながら延命をしていくような日々が余命であるなら、まだ 気持ちがしっかりしている時に誇りを持って 人生を終わりたい、ということだ。
すごく考えさせられた。
自分が後数ヶ月も余命がないと判断され、ただひたすら症状は悪化して行く中、延命だけの治療をしていく。痛くて、苦しくて、歩くのも、しゃべるのも、食べるのも、飲むのも、やっとの思いで生きているような状態。回復の見込みはない。
そんな状態に自分がなったとしたら、自分も自ら命を絶つ選択をするだろうか。
自分が 最後の日を決める。
自分がどんな風にその日を過ごしたいか決める。
どこで、誰にそばに居て欲しいか、すべて自分が決める。
愛する人にちゃんと さよならを言って 死んでいく。
一緒にこの映画を観た仲間達皆が、自分もこの選択をとる、と言い切っていた。
アメリカでは Oregon (1994 ~) とWashington (2008~) のみが 法律化されている。
さすか リベラルな州だ。